第8章 年納め
「来ぬと言うなら首に縄をかけてでも連れて来る!着ぬと言うなら無理にも着せる!ぐだぐだ言わぬで厳とせい!」
「いきなり何を言い出すかと思えば…。何につけ意味もなく何かを無理強いする気はありませんよ、私は」
「気概を持てと言いたいのえ。全く磯の浮輪はこれだから」
「放っておいて下さい」
伊草の勢いをよそに波平は口角を下げ溜め息を吐いた。
「磯辺がそういう手の通じる相手ならば私も苦労してないのですよ。厳として接したところで暖簾に腕押し糠に釘、豆腐にかすがいを打つようなもの…」
力の抜けることを言って伊草の気勢を削ぐ。
「…そんな様だから鮫においしいところを持っていかれるんだえ…?」
居たたまれない表情を浮かべた伊草がボソボソ呟いた。
「鮫の話は止めて下さい。腮裂のある軟骨魚は大嫌いです」
波平は苦々しく口許を歪めて両手を袖に潜らせた。
「そもそもあの牡蠣殻がわざわざ厳しくしなければならない程礼の欠いた真似をする訳もなし」
「はぁ。慇懃丁寧は須く磯にゃ天唾じゃなぁ…」
伊草が居たたまれない顔をして首を振り、それから気を取り直すようにヒナタに声をかけた。
「そろそろ遅うなってきた。大層別れ難いがここで年を越すわけにもいかんじゃろ?」
晦の支度をした家族が待っていることを思い出し、ヒナタが口を手で覆って頷いた。
「殊に今日は大晦だよってまたあの怖いネジ殿が目くじら立てそうだものなぁ」
「そう…そうですね。そろそろ帰らなくちゃ」
ヒナタは名残惜しげに一平の鼻をちょんと突いた。一平はくすぐったそうに首を竦め、幼児特有の籠った笑い声を上げた。この稚児はこうしていると本当に可愛い。
「お待ちなさい。帰りがけに無粋ですが、甘酒と小餅を振る舞わせて下さい」
波平が鍋の蓋を取って腰を浮かしたヒナタを引き留めた。愚図り声を上げそうな一平の機先を制して、湯呑みに湯気の立つ甘酒を掬い入れる。
「わちもわちも」
伊草が手を打って座り直した。が、波平は無情に首を振って蓋を閉める。
「あなたは先ずヒナタさんを送って差し上げて下さい。その後磯辺を連れて戻った折に馳走させて頂きます」
「ケチ」
「いい大人が人を吝嗇呼ばわりするものではありません。一平。お前も磯辺を迎えに行きなさい」