第8章 年納め
大声を上げようと開けた口を一平がぱくっと閉じた。ヒナタの白眼に今気付いたらしく、まじまじとヒナタを改め、不思議そうな顔をする。
「ごめんなさいして?」
再び優しく諭されて、一平は我に帰ったように伊草を見た。ちらと見やったヒナタに頷かれ、そろそろと伊草に這い寄る。
「いたい?」
伊草の額にピタンと手を当て、一平は口を尖らせた。
「たい?」
今度は鼻を摘まみ、首を傾げる。伊草が笑って一平を膝に乗せた。
「そうじゃのぅ。ちぃと痛かったのぅ」
言われて一平は、伊草の鼻を摘まんでいた手を口に運び、パッと口を開いた。指を開いて何かを放り込む仕草をして口を閉じ、ゴクンと喉を鳴らす。
「たい?」
得意そうに聞き直され、伊草はきょとんとヒナタを見た。可笑しそうな顔のヒナタが、慌てて額と鼻と口と腹を次々に指差して、盛んにこくこく頷いて見せる。
「ほい」
合点した伊草は破顔して一平に頬ずりした。
「痛ない痛ない。坊がわちの痛いを食うてくれたものな、もう痛ない。ありがとうありがとう」
一平は得意顔を輝かせて、ヒナタの側へ寄った。
「おじ様、もう痛くないって。良かったね、一平ちゃん」
優しく褒められて一平は満足げにヒナタに寄りかかった。頭を撫でられるまま、無心に白眼を覗き込んで大人しくなる。
それを見届けた伊草はヒナタに礼を言うと、やれやれと腰を上げて波平の隣へ戻った。
「樟は口に入れたら毒になりよろ?子供の手遊びに与えるのは感心せんの、もし」
額と鼻をひと撫でし、赤い目をしばしばさせて改めて波平に物申す。
「そういうことが起こらぬ為の草根木皮なのです。磯の子は間違っても手遊びの材を口に入れたりしませんよ」
騒ぎを茫洋と見ていた波平は平然と首を振った。
「一平は磯の子じゃないわぇ」
ポロリと、伊草が洩らす。
「あ、いや…」
慌てて打ち消そうとした伊草は波平の顔を見て口を噤んだ。
波平の半眼の目尻がスッと上がって、瞳が薄く明るい色を帯びている。剣呑だ。
「一平は磯の血を引く磯の子です。よしんば磯の子でないと言うのなら、敢えて磯の子にする為に私の元へ預けられたのでしょう。そうでないのならば草へお引き取り願います。あなたが連れて帰れば良い。そうすれば磯辺の罪状がひとつ減る。あなたの兄殺しの罪とやらは真の兇徒が見つからぬうちは消えますまいがね」