第8章 年納め
「あらま。そうかえ。そらお気の毒」
にやにやしながら髭をしごき、伊草はヒナタに抱かれてうとうとし始めた一平を眺めた。
「また眠うなっとるの。しかしよう愚図らんでおるわいな。ちっとは気持ちも大きうなったかの?」
「まさか。そんな一朝一夕に変わる子供なんかありませんよ。愚図って手に負えないから気晴らしにここへ連れて来たのです」
よく見れば波平の顔にうっすらと小さな紅葉の手の赤が見える。
「ほう、こりゃやんちゃなこと。良い良い、子供は元気が一番だわ」
「そういうことは自分で引っ叩かれてから言って下さい。如何に小さな子とは言え、力任せに叩かれては堪ったものではありません」
「しちゃいかんことを教える良い機会を貰うたと思うことだえ。目くじら立てたらいかんぞな、もし」
「目くじらなど立ててませんよ。私はこれで気が長い」
「ああ、気だけは長いらしいの。しかしそれも優柔不断のぼんやりってことじゃありはせんかえ?磯の影が戴いた昼行灯の通り名は草の宮内でも有名じゃったがな、もし」
「草では磯の話は禁忌にあたらないのですか」
磯では草は禁忌だ。草も同じように磯を忌避しているものと思っていたが。
「建前じゃそうなっとるが」
伊草は丸い目をきょろりと回して、気まずそうながらも面白味を隠しきれない顔で波平を見た。
「宮中じゃよう嘲弄されとるよ。磯の貧乏と臆病風は何かと話題に上るし、他里との取り引きの流れは注意深く見張られとる。草は昔から何かと磯を下目に見たがって揶揄するが、今頃はいきり立っとるじゃろな。磯が散開を期に商売の幅を広げただけでも気に食わんのに、わちと坊を磯者に拐われたとあればの。杏可也がビンゴブックに磯辺を載せたのは、上や杏可也自身の判断だけじゃなかろうよ。上の者が動かにゃ民が納得せんわいな」
磯は草の内部を知らないし、知ろうともして来なかった。面憎い話でも、草の内情を聞くのは興味深い。
「草は磯に一杯食わされたような気でいるのですね?」
波平は顎を撫でて頷いた。
子らの作った人形に鼻を寄せてすんと匂いを嗅いだ伊草がにっこり笑う。
「わちはこれでなかなかの人気者での」
波平は苦笑した。
「あなたと一平のことは事情がややこしい。磯の商取引に関して言えば、やきもきするのは完全に草の一人相撲ですよ。磯は、草の取り引きの広さの足元にも及ばない」