第8章 年納め
波平が眼鏡に手をかけた一平をあやし、眉尻を下げた。いつも茫洋としている顔に愉快そうな表情が浮かんだ。
「殆どが美味しいこの餅も、中には大当たりがあるので気を付けて下さい。千振で煮た大根、干し毒味みの辛味炒め、赤唐辛子の焼酎漬けを刻んで切り干しと和えたもの、山山葵の下ろし、熊の胆の味噌漬け、蜂の子の甘辛煮、山椒魚の塩煮。慣れた者なら好んで食べますが、慣れない内は辛い珍味でしょう」
「うへ。磯じゃ子供にもそんなものを食わせるのかえ」
顔を顰めた伊草に波平は人の悪い真顔で頷いた。
「酸いも甘いも効の内。薬にならぬものはなしですよ」
波平の膝にいた一平が、手をばたばたさせてヒナタの方へ身を乗り出した。
「飽きて来たかな」
波平を抱き直されて不満げな顔をした一平に、ヒナタが手を伸ばした。
「おいで。抱っこさせてくれる?」
「あ、こら」
嬉々として腕からスルリとすり抜けた一平の着物の裾を波平が捕まえる。
「ご迷惑をお掛けしてはいけない」
「迷惑だなんて全然。おいで。一平くん」
ヒナタの膝におさまった一平は、ご機嫌の吐息を洩らしてどうだとばかりに波平を見やった。ヒナタの胸に寄りかかり、気持ち良さそうに半目を閉じる。
「…ああ、それは気持ちいいだろうな。いくら懐こうとも磯辺にはないものだしな…」
呟いた波平の脇腹を、いつの間にか彼の隣に移動した伊草が肘で突いた。
「それを言うては不憫だえ。好きで平らい訳でなし」
「別に他意はありませんよ。ただ本当のことを単刀直入に言っただけです」
「そうか。それなら尚悪いの」
「だからどうだと言う訳ではありません。まっ平らでも磯辺はよくやってくれていますよ」
「…酷いなえー…」
「何が酷いんです。平らだっていいじゃないですか。私は平らでも構いません」
「そりゃ今のところお主にゃ関係ないからじゃろ。ここじゃ夫婦と名乗っとるが、てんで名ばかりだもの。何とでも言えるわいな」
「…それはどういう意味です?」
「お主ゃ磯辺の体に用のある立場じゃなかろ?」
「色々な意味で答え辛いことを仰いますね」
「どの意味をとってみてもお主ゃ磯辺から遠かろ?」
「………」
口を引き結んだ波平が、眼鏡を取って目を押さえる。
「泣くな泣くな。頑張りや」
「まさかに泣いてませんよ。疲れたんです。どっと」