第8章 年納め
元の磯人が暮らす木の葉の薬事場は、何時も種々様々な薬草と、何故か潮の匂いがする。
加えて今は麹によって糖化した米の、温かく甘い匂いが漂っている。
「磯の創主は抜け忍です。彼は薬草を扱うのに秀でた医師で、最初の巧者でもある穏やかな忍だったといいます。温厚で些か優柔不断でもあった彼は、部下も敵も死なせざるを得ない任務に葛藤を覚え、人の命を救う本草に特化した里を作ろうと里を抜けました。そんな創主が人目につかぬことを第一に考えて選んだのは、海辺の痩せて不便な土地でしてね。痩せて潮を浴びる土地は米作に向かなかった。だから磯は痩せた土地でも育つ蕎麦や豆を主食にして来ました。米は薬草との取り引きでしか手に入らない貴重品だったのですよ。殊に創立期のより閉じた磯では米は本当に大切なものだったのでしょう。その名残で今でも磯では米麹と米で作る甘酒は霽れの呑み物なのですよ」
膝の上の一平をあやしながら、波平が向かいできちんと正座したヒナタに語る。
ヒナタの隣では伊草が薬事場の子らと使いどころのない薬草の茎を編んだ犬や鳥で遊んでいる。それに茶々を入れながら、年嵩の子らが亥や羊、馬、十二支に因んだ動物を編む。
時折思い出したように一人が歌い出すと、皆が唱和して磯の歌が始まる。
"朔日草の花咲けば臥せた翁も蘇る"
福寿草の二つ名から始まる"草根木皮(そうこんぼくひ)"というこの歌は、四季折々の薬草の名とその使い道を語呂良く音に乗せた、単調で覚え易い童歌だ。単調だが、長い。
長いだけに歌に決まった終わりはなく、誰かが"去年(こぞ)も宜しき月巡りげに寿がし磯の春"と歌えば、残りの者がどっと払いと声を合わせて締め括る。これは明け暮れの〆で、いつもならば"酸いも甘いも効の内。薬にならぬものはなし"で終わる。どっと払いで締めるのに変わりはない。
子供らはこれを聞き、歌いしながら薬の知識を身に付けていく。
室の中央に設えた囲炉裏では甘酒の入った鉄鍋が仄かな湯気を上げ、串にさした小餅が炙られている。
「この餅には練り胡桃や胡麻餡、蜂蜜に浸けた棗、甘露煮の栗や、一度干して酒と木の蜜で煮た金柑などが包まれています」
「旨そうだの」
波平の説明に伊草が目を輝かせる。
「この餅も縁起物なので、取ったからには必ず食べなければなりません」