第6章 年の瀬、花屋の二階で
「あなたが妙な気を起こさなきゃいいだけのことですよ」
「出たよ、干柿節が…」
「時間がないんですよ。少し黙りなさい」
「変なこと言うから言い返さざるを得なくなるんで…」
「黙りなさい」
牡蠣殻の顔を上向かせて押さえつけ、鬼鮫は目だけ動かして窓を見た。
硝子が曇って表が見えない。ただ僅かに、大粒の雪が曇った景色の中に降り続けているのだけがわかる。
「ちょ…干柿さ…ぅぐ…ッ」
眼鏡をしていたらそれも曇っていたでしょうね。
牡蠣殻に顔を寄せて鬼鮫は口角を上げた。
しかし眼鏡がないのは邪魔でなくていい。
息遣いだけが忙しい寒い室で、腕の中で温もる牡蠣殻を抱き締める。
舌で唇で確かめる感触に総身の毛が逆立つような思いがした。
顔を見た瞬間胸に飛び込んできた牡蠣殻が意外で、俄には受け止めかねた。けれど疲れた顔の牡蠣殻が遮二無二抱き付いて来たのに鬼鮫は自分でも驚く程満足感を覚えた。
牡蠣殻は浮輪のところに居ても、鬼鮫のものなのだ。
全く牡蠣殻らしくない抱擁は、相手が鬼鮫だからこそ生じた衝動だと雄弁に語っていた。
唇を重ねていても目が合う。真黒い目が僅かに歪んでいる。愉悦なのか苦痛なのか判じがたい表情を浮かべて鬼鮫を見ている。目交わったときのことを思い出されて、嗜虐心が煽られた。
そう。この嗜虐心。これが私を思わぬ方向へ煽り立てることがある。自重すべきですね。
重ねた唇を離して牡蠣殻の顔を見下ろし、鬼鮫は口角を上げた。
不審そうに眉根を寄せた牡蠣殻の眉間を親指の腹で擦るように撫でる。
「明日から私は暁として任務をこなすことになります」
「ええ、そのようですね。さっきから何度も聞いています」
減らず口を叩く牡蠣殻の額を掌でバチンと叩いて、鬼鮫はますます口角を上げて凄いような笑みを浮かべた。
「あなたはまた私の元を去った」
「それについては出立の際お話しました」
「あなたにはあなたの理由がある。端から見れば詮無いことであっても、あなたが自分にとって大切らしい動機に長く盲目的に縛られているのもわかっています」
「…ご理解頂いて有り難うございますが、何ですか?何が言いたいんです?」
不快げに聞く牡蠣殻を離して、鬼鮫は腕組みした。目に負けん気の色を閃かせて対抗するように腕組みした牡蠣殻を見下ろす。牡蠣殻も鬼鮫を見上げる。