第6章 年の瀬、花屋の二階で
「何度も私を欺いたあなたの覚悟がどれ程のものなのか、楽しみにしていますよ、牡蠣殻さん」
「そうですか。では乞うご期待下さい」
「わかりました。期待していますよ」
「喧嘩売りに来たんですか?」
「まさか。今喧嘩しても仕方ない。焦る必要はありませんからね」
「………」
牡蠣殻が目を眇め、怪しむように口を噤む。鬼鮫は顎を上げてそれを睥睨し、楽しげに歯を剥いた。
「どうしました。寂しいんですか?別れる前にもう一度抱き締めてあげましょうか?」
「遠慮します。幾ら間抜けな私でも腹の見えない相手に抱かれる気にはなれません」
「あなた、さっき会ってから何度私に抱き締められました?」
「…二回?」
「そのうち一回は自分から抱き付いて来たでしょう?」
「あれは今思うと抱き付くというより突進したという方が正しい。だからノーカンです」
「成る程。確かに突進して来てましたね」
「何なら頭突きをかましたと言ってもいい」
「そうですね。あれは頭突きでした」
「では合意の上ノーカンということで…ぁだッ」
呆れ顔をした鬼鮫がまたバチンと牡蠣殻の額を叩く。
「では残り一回はどうするんです」
牡蠣殻はフンと鼻を鳴らして額を撫で擦った。
「貴方のすることを私如きが止められる筈もありません。ですからこっちは不可抗力です」
「やっぱりあなたは口が減らないんですねぇ」
「口は減りも増えもしません。生まれついてひとつなら大概死ぬまでひとつです。だから私の口が減らないなら貴方の口も減らないのですよ。ふっ」
「何がふっですか。あなたと一緒にされちゃ堪りませんよ」
呆れ返った鬼鮫が牡蠣殻の襟首を掴み上げて顔を寄せた。
「まあいいでしょう。その勢いですよ、牡蠣殻さん。せいぜい私を楽しませて下さい」
間近く覗き込む嗜虐的にぎらつく鮫の目を、牡蠣殻は物思いの目色で見返した。
「…楽しまれるのは貴方の自由ですが、私が貴方を楽しませられるかどうかはわかりません。私はすべきと思うことをするだけで、他に出来ることもないのですから」
「それで結構ですよ」
牡蠣殻の襟首を離して、鬼鮫はまた腕組みした。
何やら考え込んでいるらしい牡蠣殻の様に興奮と困循が交錯するが、傲慢な表情は毛筋ほども動かない。