第10章 eraser
「先生が好きよ」
一年の終わり、腕を掴まれて告げられた一言に呆れ返った。
「まいかは先生の可愛い生徒のひとりだ」
俺の性分を十分知っている筈なのにそんな意味の無い感情を抱く教え子に、無難な一言を返す。
大抵の生徒はその一言で諦め、その恋心は気紛れだったと早々に気が付く。
「可愛い生徒のひとりで終わりたくないの」
去ろうとする背中を捕まえ、アイツはそう零した。
誰も居ない廊下。静かな呼吸音だけが響いて、見慣れたはずの此処が違う場所に変わったような、そんな錯覚に陥った。
「お前が目指すべきはヒーローだろう」
溜息で牽制。効果はどうやら薄い。
「それよりも先生の大切な人になりたいよ」
新調したばかりのヒーロースーツをキツく握り締められた。
シワが付くスーツを眺め、頭を掻いて無言を流してもただ鼻をすする音しか聞こえない。
「もっと他にいい人がいるはずだ」
「一年間、ずっとそう思ってた。けど先生しか見つけられなかった」
世界の広さに気が付いていないのだろう。
突っぱねる事も優しさ。身を離し、少し後ずさりをして顔を覗き込む。
その瞳を見て、用意した言葉を吐き出せなかった。
真っ直ぐな眼差しに声を奪われた気がした。
ようやっと出た言葉は意味を持たない言葉。
「……その一年を、まいかはいつか忘れてしまうんだよ」
柔らかな髪はまだ世界の厳しさを知らないのだろう。
ひとつ、髪を撫で宥めるようにそう言うと、手を払い除けられた。
「忘れる訳ないよ。ずっと先生が好きだよ」
踵がふわりと浮いたのを視界の端で捉えて、唇が重なった。
「先生、私を除籍してよ。担任にこんな事するダメな生徒、雄英高校には相応しくないよね…早く」
あの時、除籍を宣告していれば、今の俺はこんなにも思い出に足を捕られていなかっただろうか。
いや、それは違う。きっと宣告したとて同じ事。同じ様に立ち止まり、こうして振り返ってしまうのだ。
「馬鹿な事言ってないで早く寮に帰りなさい」