第6章 Not hold me
私のキーケースに我が物顔で居座る鈍色。
この鈍色を、何人の可哀想な女が所持しているのだろう。
可哀想などと言ってみても、実の所ほんの少しも思っていなかったりする。むしろ、その全ての女が私だけは、と淡い夢を見ている。
「オレさぁ、まいかと居るとマジ落ち着くわ」
初めて共に迎えた朝、私の顔にかかる髪を撫で彼はそう呟いた。年甲斐も無くときめいた私はすぐ様恋に落ちた。
出会いはただナンパ。それに引っかかった私はまるで蜘蛛の巣にかかった獲物。彼がじわりじわりと私の大切な何かを食べていく。ただ、怖さよりも堕ちて行く感覚が堪らなく気持ちが良かった。
「これ!持ってて」
何度目かの逢瀬の終わり。靴を履こうとする私に彼が静かに差し出した鈍色に、また胸を奪われた。
「良いの…?」
「まいかになら渡してもいいかなって。あ、でも来る前に連絡だけしてくんね?」
「ん、約束する」
背伸びをし、彼の腕に手を回して唇を重ねる。身体を何度重ねてもこの行為には慣れなかった。彼の肌の無防備な香りに、心臓が跳ね上がってしまうのだ。
「じゃあね、また来る」
ぱたりと閉めたマンションの扉。夜明け前に家を出るのは彼の為。
寒くて悴む手に握る鈍色が、やたらと熱くなるのは数年ぶりの恋が燃え盛るからだろう。
大人になってする恋は、必ずひとつの節目がチラつく。
それを目指して、無我夢中に走りたくなるのは仕方の無いこと。
「チャージズマの、お嫁さん…」
誰も居ぬ静かな歩道で、息に乗せて私はふわりと呟いた。
何もまだ始まってはいないのに、小さく、小さく願った。