第17章 the world
「まいか太夫、お身体には十分気を付けて」
「たまには帰って来てね」
見送る人々が口々に叫ぶ。雨音に掻き消されぬよう、大きな声で。
「ファントムシーフ。ご苦労様です」
「どうも…」
一晩、僕と会話をした遊郭の男は何処かやつれて見えた。
きっと彼女はこの遊郭の支えだったのだろう。
やつれきった男の気持ちが少しわかる気がした。
「…これで良かったんでしょうか」
消え入りそうな声も、何処か分かってしまうから人は面倒臭い。
「さぁ、僕にも分からないです」
昔懐かしい人力車に乗り込む彼女を眺め、足がうずうずとする。
拐って逃げて、遠い場所へ行ければ。そう思うけど、きっともうそこまでいけば、僕のエゴだろう。
濡れた地を鳴らす車輪。
僕の前を通り過ぎる直前、彼女がずいと身を乗り出した。
「ファントムシーフ!」
名を呼ばれ、僕並走するように足を動かした。
足を滑らせ転けそうになりながら彼女を追う。
「おおきに、本当に、ありがとう」
伸ばされた手を一度握る。すぐに引き剥がされて、虹。
「まいか太夫!僕はヒーローだ!……困ったらすぐに呼んでください。すぐ、すぐ駆け付けますよ」
惜別の声に埋もれぬように、そう叫べば身を乗り出した彼女が頷いた。
土砂降りの空。異様に輝く虹の下。
今の彼女の瞳が鈍くても、いつか輝く日が来るかもしれない。
「さよなら、まいか太夫」
世界は回る。
雨が降り、雨が止み、虹がかかり、太陽が僕らを照らす。
この花街がある限り、きっと彼女はこの世界の何処かで笑っているんだろう。
あの夜、僕に見せた幼子の様なあどけない笑を浮かべながら。