第1章 炎色(ほのおいろ)
「明日又来る……道三、信玄様を宜しく頼む」
幸村は不貞腐れたように言うと、大きな足音を立てながら部屋を後にした。
どんな苦境に立たされても弱音ひとつ吐かない幸村を案じ、少しでも早く帰路に就く様促したつもりが、一向に帰るそぶりを見せない姿にしびれを切らし、つい々からかってしまった事を心の中で詫びると小さく息を吐いた。
ーーふぅ……すまんな幸。
幸村が帰った後も視線を外さず切なげな表情で入口を見つめる信玄を見かねた道三は静かに口を開く。
「少しお休みになってくださいませ」
「ああ、そうしよう。
世話を焼きすぎる幸村には困ったものだ」
「ふふ。いつの世も親は子を、子は親を心配し思うもの。唯一無二、信玄様の大切なお子にあらせられますな」
「嬉しいことを言ってくれるね、道三」
「至極当然のごとにございます故」
「『ふふ』」
思わず漏れた笑みに視線を交えると、瞳で会話するように微笑みあい信玄は忍び寄る睡魔にそっと瞼を閉じた。
道三はゆっくり深々と座礼し、置かれた水桶と手ぬぐいを脇に抱え静かに部屋を後にした。