第1章 炎色(ほのおいろ)
同刻、未の刻を過ぎた頃……
「幸は心配性だな」
「だから何度も無理するなって言ったんだ。
頼むから言う事聞いてくれ。信玄様!」
「季節の変わり目だよ、幸。
それに俺はこ…………ゴホッ」
褥に力なく横たわる信玄の顔は血の気を失い蝋のように白く、荒い咳に伴い紫色をした唇から吐き出される息はヒューヒューと音が鳴る。
その姿にいてもたってもいられなくなった幸村は、信玄の体を横向きにすると布団の中に手を差し入れ、息苦しさで丸まった背中を必死にさすった。
一刻でも早く楽にして貰おうと、この庵の主である名を叫ぶ。
「道三! 道三はまだかッ!」
衣擦れの音と共にすっと襖が開いた。
「幸村様、そのようにまごついては信玄様も安心できますまい。この道三にお任せくださいませ」
声に誘われるように開いた襖の先に視線をやると、藍鼠色(あいねずいろ/青色がかったねずみ色)の着物を体にまとい、畳に両掌をつき、うやうやしく座礼する曲直瀬道三(まなせどうさん)の姿があった。
「たのむ」
幸村は、道三をまっすぐ見つめ絞るような声で言った。
道三は視線を反らすことなく安心させるように頷き返し、信玄の褥の横に座ると、背すじをまっすぐ伸ばし手際よく手当していく。
「道三、世話をかけるね」
「なにを言っておられますか。すぐ楽になられます故。今しばらくの辛抱でございます」
瞼を閉じ苦しそうな息で労いの言葉をかける信玄に、道三は穏やかな声で答えた。