第5章 眼福眼禍[炭治郎]
つむぎの手が、ピクリと揺れ、固まった。
炭治郎は、ただ真剣に、彼女を見た。
彼女は、下を向いたまま、必死に耐えて、耐えて。
匂いが、揺れている。
悲しい匂い。苦しい匂い。優しい匂い。
それから少しの、血と涙の匂いがする。
つむぎの抱えきれなくなった悲しみが、少しだけ、溢れたみたいに。
「長いこと話してしまったね。」
「母さん…疲れてしまった?」
床の女性は変わらず笑って首を振り、
それからもうひとつ、告げた。
強く、優しい匂いがする。
それは昼間の、つむぎによく似ていた。
「つむぎ。お前は昔から、正直ものだものね。嘘はほんとに、下手くそで。」
その言葉に、つむぎは弾かれるように顔をあげた。
その言葉の意味は、炭治郎にも分かってしまう。
彼女は嘘をつくのが下手くそなつむぎを、幼い時から見てきたのだと。
彼女は紛れもない、母親だから。
つむぎは目をまん丸にして、口をぱくぱくと開け閉めした。
「わ、私…」
「いい、大丈夫。」
つむぎは首を振る。
音を出さぬよう、静かに首を振った。
「悲しい思いをさせたわね、ごめんなさい。」
「ち…違うのこれは、ほんと、に…。」
炭治郎は握る力を強くした。
声の震えを止めたくて。
もう嘘を、ついて欲しくなくて。
思わず声をあげる。
「俺がつむぎさんの悲しみを、涙を、拭います。俺が、必ず。」
炭治郎のその言葉は、まっすぐ響く。
「貴方がつむぎの…」
「はい。だから、」
その声はどこまでも、優しくて。
「あ…」
優し過ぎるその言葉に、つむぎは初めて気がつく。
「もう、彼ではない…」
彼女の手に添えられた炭治郎の手に、ぽたんとなにかが落ちた。
その雫はぽたぽたと、その手を濡らしていく。
暖かく、切なく、苦しく、何処までも悲しい匂いがする、
あついあつい、涙だった。
言葉の通り、炭治郎は手を伸ばし、つむぎの頬の涙を拭った。
優しい優しい手のひらに、優しい優しいその瞳に、つむぎは愛しい彼を、憶い出していた。