第5章 眼福眼禍[炭治郎]
襖を開ける音が、スっと響いた。
その先には床に伏せた女性が、ひとり。
目を閉じ、布団の中に座っている。
「母さん。」
「…つむぎ…?」
耳もあまり良くないのか、1度聞き直してから目をゆっくりと開く。
白く濁った瞳には、何も写っていない。
彼女はきっと、何も見えてはいない。炭治郎の事も、認識はしていないだろう。
「祝言は、どうだったのか、教えてくれないかい?」
その言葉に、隣のつむぎはピクリと反応し、すうと息を吸った。悲しい、匂いだ。
「ええ。とても、幸せで、ありました。」
嘘だ。
きっと彼女は、嘘が苦手だ。
誰にでもそれが分かるほど、嘘をつく為の声は、震えて、縮こまって、今にも途切れそうで。
彼女からは、依然として抱え込めないほどの悲しみの匂いがする。
「それで、母さん。紹介するわ。私と、夫婦に、なってくれる方。」
炭治郎の方へふっと手を伸ばし、つむぎは小さく微笑んだ。
そうか今度は、俺が嘘をつく番だ。
炭治郎は、ふぅっと息を吐いた。
炭治郎は、自身が嘘が苦手であったことを忘れていた。
「おっ、俺はつむぎ、さ、つむぎと祝言を挙げました!」
先程までの神妙な顔を歪ませて、とてもとても苦しそうに、嘘をついている。
それを見たつむぎは目を真ん丸にしてそれをみた。嘘だと、誰にでも分かる。苦しそうな顔だ。
悲しみの匂いは少し、驚きで薄れた。
驚きと、申し訳なさ。
慌てたつむぎは炭次郎の耳元でささやいた。
「すみません、無理をさせてしまいました。大丈夫、嘘をつくのは私の役目。あなたは、真実だけを、述べて。」
炭次郎から見えたのは、うるんだ瞳。
その瞳の向こうに見えるのは、揺らぐ、自分の姿。
今していることは、本当に正しいのか、不安で仕方ない、答えを求める自分の姿。
炭次郎に目を合わせた後、つむぎは目を伏せて、手を強く、握っていた。
ほんのかすかの血の匂いを、炭次郎は嗅いだ。