第5章 眼福眼禍[炭治郎]
斬った感触は、まだ残っている。
最後の悲しい声も。
抱えきれないほどの、悲しい香も。
炭治郎は手を何度か握ったり開いたりを繰り返し、じっと手を見つめていた。
「あの子って…彼女のことか。」
血の匂いが鼻をぷんとつく。
また、幸せが壊れた。鬼の、せいで。
もう一度手を洗わせてもらおうと立ち上がった時、炭治郎の目の前の襖がぱっと開いた。
「すみません、おまたせしてしまって…。」
「あっ、いえ…」
彼女は、真っ黒い、地味な着物を着ていた。
まるで、喪服のような。
綺麗に結われていた髪は、さっぱりと降ろされ、飾り気のない質素なものに。
「その…」
「大切な人、でした…ので…。」
遺体が無いから、葬儀は出来ない。
彼女の喪服からは、線香の匂いがした。
悲しい、香りがした。
「それで、嘘、とは?」
「それは、」
彼女は一瞬目を伏せ、決意したように声を出す。
「私の母に、です。」
「えっ」
言いづらそうに、苦しそうに。
優しげな香りのまま、彼女は続ける。
「母には、今日祝言をあげるのだと伝えてありました。きっと、どのような式であったか、聞かれるでしょう。」
「……」
彼女の求める“嘘”を、炭治郎は察し、目を伏せる。
「母は、もう長くありません。目も、見えない。」
「僕に…祝言をあげる、相手の振りを、してくれということですね。」
つむぎは苦しげに、首を縦にふった。
「せめて母には、一人娘のこの私が、幸せであると、安心して欲しいんです。想った人と夫婦となり、笑っていると。最後に、伝えたい。」
優しい願いと、優しい笑顔。
「私のせめてもの、親孝行です。」
そして少しの、涙の匂い。