第3章 或る街の群青 [死柄木]
「敵が、憎いか?」
「え、」
そいつは目を大きく広げて俺を見る。
雨のにおいがする。
雨がそいつの瞳を潤して、そいつの瞳に映っている俺が、揺れている。
「うーん、とくに、」
「俺が敵だったら、どうする?」
また、目を大きく広げて、そいつは俺を見る。
雨の音が、少しだけ大きくなった気がする。
黙って彼女の言葉を待つ。
「私はなんとも。」
笑顔は変わらなかった。
俺の耳に雨の音が、戻っていく。
「確かに私は、敵(ヴィラン)って呼ばれる人に殺されたけど、よくわかってないですから。」
「分かってないって、」
「敵って、何なのか。」
「分からないって…」
話そうとして、口をつぐむ。
考えたのだ。それが初めてで。
考えて、それで、言葉が出なくて。
「わからないから。だから私は、自分の信じたいことを信じようと思ってるんです。」
「信じたいこと、って、」
「例えば、あなたのこと、とか。」
そいつは笑いながら、俺に手を伸ばす。
俺の胸に触れようと伸びたその手は、どこにも触れられずに通り抜けて。
幽霊なんだと、思い知る。
「えへ、何にも影響を与えることはできないですけどね。」
胸に刺さって通り抜けているその腕を、俺はただ眺めた。
手が空を切った何度目かで、そいつはにぃっと笑う。
「幽霊だから。」
「…死んでるの、か。」
何も無かった。
何にも触れられなかった。
触れられないことが、当たり前のことが、酷く恐ろしく感じた。
“誰にも触れられない”ことなんて、慣れてるくせに。
「あなたとは、青空の下で会ってみたかった。」
笑いながら言うその言葉に、冗談じみたその言葉に、初めて此奴の後悔を知った気がした。
雨は少し弱まり、幽霊は少しだけ、色が薄くなったような気がした。