第10章 それでは、また明日[空却]
「ここなら、何もかもが大丈夫で、安心できるはずって、安全なはずだって、思って。逃げてきたの。」
息を吸う音がやけに大きく聞こえた。
つむぎの中の、まともでいようという何かは、もうすっかり消えてなくなっていた。
でもただ、恥ずかしかった。
空劫は寺で相談を聞くのに慣れてる、というけど、その“お客さま”の一人になるのが、恥ずかしくて仕方なかった。
どうせなら空劫の仕事を、減らす方の人間になりたかった。なのに、増やしている。
そんな自分が、嫌で仕方なかった。
「さっき、すぐ扉を開けられなかったのも。」
「あー、そういやそうだったな。」
「……大学に行けなくなったころ、家のドアが開けられなくなってさ。鍵かかってるわけじゃないし、何かがつっかえてるわけでもないのに。ここでも開けられなかったらって、考えたら怖くて、私、そんでさ、そんで……ほんと、ごめん…」
つむぎは出てきた涙を空劫に見えないよう膝で拭った。これ以上面倒かけて、嫌われたくなかった。
「…謝らなくていい。」
「でも私、しょーもない理由で大学を中退したただのクズで。なのに、こんな面倒、かけて。」
「…いいから。」
今まで黙って微動だにせず聞いていた空劫は、急に動きだす。
空却は、鋭い動きでつむぎの頬をがしっと握った。頬をつぶすほどの力で。
「ぅぇ」
「謝ることなどなんもねぇ。自分をクズだと言うな。口に出したら、本当にクズになっちまう。お前は……クズじゃねぇ。」
クズだと、口に出した時、つむぎの心は、整頓された気がしていた。これが正解だと。
でも空却は違うと言った。
正しくはないかもしれないけれど、
その言葉はどうしても優しかった。
「でも、私」
「拙僧はクズとはダチになんかなんねぇ!」
痛いくらい頬を潰されたまま。
まっすぐ突き刺さる金色は、涙で歪んだ世界でもひたすらに綺麗で、つむぎはまた、泣いた。
「己を見捨ててやるな。…頼むから、」
空却は、少し震えていた。
怒ってるだけではない、色んな感情が混ざった、見たことも無い表情なのが、見えた。
「…心が世界だ。忘れるんじゃねぇ。」