第1章 清らかな水の王国
宿屋の主人が仕事に戻った後、セラはプレートを返却すべく席を立つ。
離れようとするセラを、シドはその腕を咄嗟に掴んで止めた。
「セラ」
「何?」
紫紺の瞳が、何事かとシドを見る。
「お前、もしかして……」
「……」
「…………いや、悪い」
シドは、言いたかった事を一つも口にする事なく、セラの腕から手を離した。
セラは、何も答えず……シドを残して食堂を後にする。
シドはその背中を見つめ、見えなくなるとガシガシと自身の頭を掻いた。
あれから数分後、自分の部屋へと戻ったシドは、簡素なベッドに腰を下ろす。
セラに対して抱いた“疑心”について考え始めた。
(魔術師の旅人……)
それは……今現在、クラルキア帝国が極秘裏に捜索している、《賢者》の情報と一致する事柄だった。
《賢者》とは、この世界に存在する最高の魔術師の事を指す。
──名は、ノーナ・アイガム。
少なくとも100年前から存在する魔術師で、名前と種族名以外の詳細は一切不明……既に死んでいるとも分からない。
それでも帝国は、探し続けている。最高の戦力を、他国に渡す訳には行かないからだ。
延命や若返りの魔術が存在するなら、ノーナが今も生きている可能性はある……別人に化けている可能性も、同様に。
(もし、セラが賢者なら……)
仮に、セラはどこかの国の魔術師団に所属する魔術師で、任務の為にファトムス王国を訪れたのだとしても、単独で送り込まれる事などあり得ない。
魔術師が任務に赴く場合、同国の騎士が護衛に付き常に行動を共にする……魔術師の殆どは、身体を用いる純粋な戦闘に弱いからだ。
セラが魔術師団の者である可能性は低い、とシドは考える。
シドの中で、セラはノーナ・アイガムそのヒトである、という仮説が立った。
それを裏付ける事実は二つ。
セラが魔術師でありながら旅人である事と……ノーナはセラと同じ獣人族・狐人であるという事。
(セラが賢者なら、絶対に帝国には渡さねえ)
シドは確かな意志を持って、そう固く決意をした。