第9章 兄と親バカと花見
安室が選んだフサエブランドというらしい銀杏があしらわれた服ならば記憶に新しいということもあってすぐに見つけられるだろう。
一人頷く葵を見て対面にいる安室が首を傾げる。目を閉じたまま縦に振られていた彼女の首が今度は左右に揺れている。組まれた腕も相まってその姿は重大な案件に頭を悩ませているかのように見えた。
その姿にカップに口を付けようとしていた口元からふっと息が漏れたが、コトリと置かれたカップの側で肘を付いた安室の肩が小刻みに揺れていることに葵が気づくことはなく。
そして写真の送り先が組織幹部であり、交渉材料に使われていたということにも気づくことはなかった。
◇◇◇
「忘れ物はない?」
『大丈夫!』
「携帯は?」
『持ったよ!』
玄関で靴を履く葵の隣に座りこんだ安室が発する言葉から疑問符が抜けず、一つ一つに元気よく返していくと暫くして漸く立ち上がることが出来た。
扉から安室へと視線を移して瞬きを一つ。
『桜…綺麗かなぁ』
儚くも気高い薄紅を思い浮かべると目の前の蒼が緩められた。
「ああ。日本が誇る花だからね。きっと、きっと綺麗だよ」
頭の上に乗せられた手にゆっくりと撫でられる。その心地よさに身を寄せれば、ふふっと楽しそうな声が聞こえてくる。
「上ばかり見ていたらダメだよ?桜は下も綺麗だから」
『下も?』
「花弁が絨毯みたいに広がっているから汚れていないものを探しておいで」
“押し花にしよう”と笑い、ずれたベレー帽を直す彼を見つめてじっとしていると、さらっと揺れた銀杏が耳に触れた。
「知らない人には気を付けてね」
勿論だと頷いて扉に手を掛ける。ふと振り返り見た瞳に浮かぶ焦燥は先程よりも強い気がした。
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