〖イケメン戦国〗新章 燃ゆる華恋の乱❀百華繚乱伝❀
第5章 境界線のジレンマ《前編》❀徳川家康❀
(でも、これだけは言える。美依を傷つけることは……絶対にしたくない)
一番好きな顔は、笑った顔。
一番嫌いな顔は、泣き顔。
美依が笑顔でいるのなら、どんな事でもしてやりたいし、泣かせるのだけは絶対嫌だ。
だから……まだ進めなくても仕方ない。
きっと、まだ時期ではないのだ。
そう自分に言い聞かせて、美依の後を追う。
だが──……
一回理性が飛んでしまうと、男なんて欲望まみれの獣だと。
それをまんまと思い知らされる事になる。
自分がどれほど綺麗事を思い描いていたか。
この時はまだ、それを知る由もなかった。
────…………
(……風が変わったな)
山に入ってしばらく経った頃。
頬に当たる冷たい風を感じ、家康は思わず足を止めた。
一回美依が居る位置を確認し、それから空を見上げる。
すると、野原に居た時は抜けるような晴天だったのが、今はどんより厚い雲が空を覆っているのが解った。
山の天気は変わりやすい。
よく晴れていても、突然雷雨に見舞われる事だって、よくある事だ。
(早めに山を下った方がいいな)
そう判断し、前を歩く美依を追う。
後ろから軽く腕を捕まえて引くと、美依は艶やかな長い髪をなびかせ振り返った。
「家康、どうしたの?」
「そろそろ山を降りよう、天気が悪くなってきた」
「え、でもそんなにすぐは崩れないでしょ?」
「いや、それはなんとも……」
『なんとも言えないから』
そう、美依に伝えようとした刹那。
ぽつり……と、美依の腕を掴んだ手の甲に、冷たい雫が当たったのを感じた。
反射的に上を向いて、空を見る。
すると、鉛色の空から、冷たい雨粒が降り注ぎ始め……
サァサァ……と言う音は、見る間に強くなっていく。
「わ、もう降ってきた」
「嘘、さっきまで晴れてたのに!」
「山の天気は変わりやすいから、さっき山小屋を通り過ぎたでしょ、そこまでとりあえず行こう」
羽織を脱ぎ、美依の頭からふわっと被せる。
そのまま小さな手を掴むと、先ほど通り過ぎた山小屋を目指して、二人で走り始めた。