第9章 甘い嘘●
「あれ、村瀬先生の車。」
「…え?」
彼女は車を見つめながらそう言った。
…という事は運転席に見える腕は村瀬先生か。
薄暗い車内。
インパネの明かりがわずかに人の気配を感じさせる。
会う約束でもしていたのだろうか。
しかし、彼女はこうして私とカフェにいる。
わざと待ち合わせに遅れ、観察しようとでもいうのか。
彼女は身を乗り出し、車をじっと見つめたままだ。
「あ、出て来た。」
彼女の表情が険しくなる。
反対側の道路沿いにある書店から出て来た女が、足早に車へと近付いた。
車に乗り込んだのか。
しばらくして車は右ウインカーを出し、発進していった。
彼女はこれを見たかったのだろうか。
状況から察するに、あの女は村瀬先生の婚約者だろう。
彼女は車のいなくなった道路をじっと見つめたままだ。
その横顔に、なぜか高校時代の自分を思い出す。
それは母の誕生日。
バイトを終え、母の営む喫茶店へとプレゼントのブラウスを抱えながら行ったあの日だ。