第3章 花冷えの底/不破
真夜中、塀のほうからなにか重いものが落ちる音がして、実習で過敏になった神経がびくりとからだを跳ねさせた。
「な、なんの音!」
目は暗闇に慣れきり、神経は戦っていたときのままだ。ぼくは手に持っていた刀の鯉口を切りつつ、音のしたほうへ寄ると、塀の内側で地面に倒れているそれは、人影だった。
「雷蔵…」
裏返り気味の、なよなよした声とともに、そいつのからだが仰向けに転がる。
「はこ…!」
なんだってそんなところから入るんだよ?!ケガは? 矢継ぎ早に尋ねながら、はこの倒れるそばに屈み、からだをざっと見回してみるが、しかしそのうち、もっとおおきな違和感があることに気づいた。「兵助は…?」
「はぐれたのか?!」
「雷蔵がいなけりゃ、オレは、学園にいなかったかもな」
聞こえているのかいないのか、地面に横たわったまま、どこを見ているでもない目をして、ぼそりと、はこはつぶやいた。
「なんのこと」
「いっしょにくのたまから逃げてくれただろ」
「…うん、入学の日だろ」
「オレ…じつはあのとき、あいつらにいたずらされかけてさ」
「…」
「いたずら」の響きが、枝を差すようなこととはあきらかに異なっていて、ぼくはおもわずはこの顔を注視した。口角はわらっているようだが、漏れる声は、いまにも泣き出しそうだ。
「手篭ってほどじゃない…いまおもえばほんのいたずら程度だったが…相手の身のこなしのすごさはわかったし、それが四、五人もいて……」
「うん…」
「入学する気はすぐに失せちまった」
それでも、共感してくれる存在があったから、はこは入学に踏み切れたのだと、いいたかったのだろう。
なぜ、五年生の実習をきっかけに、学内外で騒動が起きている非常事態のいま、そんなおもいで話をするのか、はこの頭のなかはわからないが、ぼくは疲れきっているらしい彼女の額を撫でてやった。