第9章 生きて、生きて、春が来る/潮江
開け放った障子から、晴れた冬空と、雪の溶け残った庭が見えた。春が近い。外廊下に足を投げ出している寝間着すがたの仙蔵は、目を細め、ふとつぶやいた―――――はこさんは、椿がすきだそうだな。
俺はその背後で、仙蔵の髪に櫛を通す。なぜだか俺は、毎朝この同室の髪を梳いてやることになっているのだ。
自身で梳いたほうがうまいだろうが、わざわざ俺にやらせることに、とくに理由はないらしい。
それがかえって無気味で、いつもおそるおそる、櫛を握っている。
とはいえ、とくに拒む理由もないのだ。
そのつぶやきは、椿に文を括って渡せ、ということのようだ。たしかに、文でなければ、ふたりきりになる機会などない。
―――――突然現れたはこさんだ。きょうにも突然消えないとも、限らないだろう。
仙蔵が、なにを根拠にそんなことをいうのかわからないが、だからこそ奇妙なほどの現実味があり、俺は生唾を呑む。
ほんとうに、浮世離れした女性なのだ。右も左もわからず、なんにでも好奇心を輝かせているようすは、まるで異国の人間であるかのようで、下級生やへっぽこ事務員からむしろものを教わってさえいるほどだ。
仙蔵のいいぐさは不吉で、俺は、なぜか雪原の景色を思い浮かべた。景色に彼女のすがたが溶け込み、だれもしらぬ間にその像が崩れ去ってしまうところを。
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この章には同性愛要素(仙文)があります