第5章 ワンカラットエレジー/綾部
ぼくは不安に駆られるまま、さんの声のするほうへ、手を差し伸べた。
もうこのひとの顔を見ることができないかもしれない、という不安は一抹のものでしかないのだけれど。
彼女の顔を触り、その凹凸と肌の感触、温もりを、いまになって確かめたくなったのだった。
手は空を掻き、ふと触れたのは…彼女の首筋だろう。そこに、なにか、肌ではない鋭いものを感じてぼくはおもわず動きを止める。
「さん…」
さんの手がぼくの手を包んだ。
じっさい彼女はここに座っているのに、ぼくは、なぜだかこのひとがだれだったのかさえ、しらないようにおもえた。このひとはこの忍たま長屋へぼくのようすを見に来てくれた。でも、わざわざ長屋へ忍び込むほど仲のよいくのたまが、ぼくにはいたのだろうか。
このひとはいくつで、どこに住んでいて、ぼくとはどんな関係なんだ―――
そのうち、ぼくは眠りに落ちた。
一刻ばかりして、検診に来てくださった新野先生の気配にぼくは目を覚ました。
そのとき掌に、なにか薄くて、鋭いものを感じて、ぼくはかってに包帯に手をやる。
「ああ、包帯はわたしが取るからきみは楽にしていなさい」
先生が制止するいっぽうで、緩んだ包帯の隙間からぼくは、そこに硝子片のような光るものをひとつ、見た。―――ごく薄くて、丸いかたちをしている。あのひとの首筋にあったものとおなじ、鋭い感触を感じながら、ぼくはそれを撫でた。
「きれい…」
ぼくの目はその輝きを確かにとらえている。
「どういうことだい」
その目を見て先生は驚愕するのだった。ざっくりやられていたはずのぼくの瞼に、なんの傷もなくなってしまっていたから。
☆
網問につづき鱗のある人外の怪奇でした