第2章 この世のすべてでありますように/ジョナサン
それは屋敷の馬車だった。いつものたっぷりした金の髭ともみあげの御者、それから窓から見えている、ぼくの父。
街から帰ってきたんだ。
父さんはこちらを見上げている。
女性名はあまりの気まずさに、馬車を注視するほかなすすべもないようだ。
「…おとななのに木からぶら下がっているところ、見られちゃったね」
「ここを馬車が通るのを忘れていましたよ…」
女性名は枝に座り直すと、笑ってそう恥ずかしがるだけだった。
表情に職を失う不安なんてすこしも読み取れない。特別に信頼がおおきいからこそ、女性名のような女性が父に雇われているのだから、当然なんだけれど。それに父は、この家庭教師に気を配るのを忘れないんだ。こんなふうに勉強の時間を過ごしていることをむかしからしっている。
女性名のようすは、おもいがけず父にひと目会えて、おもはゆがっているようにも見えた。
――――――ぼくはなにも事情をしらない子どもだけれど、大切な友だち、いや、このごろは、友だちのままでいたいわけでもないような気がする、彼女のこの眼差しがどんなものか、たしかにしっている。
痛いほど共感する。
「女性名は父さんのこと、愛しているの?」なんて、尋ねれば否定されるということも、わかる。だからぼくはこれからもずっと、意味のない質問なんてしないだろう。
ぼくと話しているけれど、でも彼女の心は馬車といっしょに行ってしまった…もうこの木漏れ日にはもどらない。
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原題は「誰もが誰かの特別であることが、この世のすべてでありますように」