第23章 桃と剪刀/デッドマン吉良
「もし」
もし――――その囁きがどこから零れたのか、わたしにはわからなかった。
「どこだ?」
「ここです」
道に迫っている桜の枝から、返事が返ったので、やはりわたしに話しかけているのだと、驚いた。死んでからというもの、わたしには驚くようなことばかりだ。そして、そのあとやってくる、決して答えの与えられない疑問も。
「あんたは幽霊か?」
その枝には雪が降りるように細かな花が咲いており、逢魔時の鋭い光に、その一片ひとひらが、白く浮かび上がっている。
どれが囁いているのか見極められないが、もしかしたらこの桜の木そのものが、生者の目には見えていないのかもしれない、とおもいながら、わたしは尋ねた。
「いいえ。生きています。いまは山桜桃の花となりましたが、わたしは××町△丁目に住んでおりました、女性名という者です」
「…花に生まれ変わったっていうのか」
ほんとうに、驚くことばかりだ。おもわずうんざりした顔を隠せない。ゆすら、というらしいその木の、細かな花のひとつに、もとは人間だった霊魂が収まってしまうものなのか?
「人間だったのはわかったが、なぜわたしにあんたの声が聞こえるんだ? メルヘンみたいに人間以外の生きもののことばがわかったことはいままで一度もなかったんだ、死者の特権というわけでもないんだろ――――いや、花として生まれたばかりのあんたに聞いても仕方がないな」
わたしはいつもの通り、疑問の浮かぶままそれらを宙へ手放してやった。
そして改めて用を尋ねたのだ。仕事の依頼ならすばらしいし、そのうえ、花からの依頼とは希少じゃあないか。
花の散った地面は、白く浮かぶスポットライトのようだ。その舞台でわたしは、女性名の人間だったころの住所と、その家に伝えてほしい伝言とを、預かることになった:すなわち、このスポットライトの下に、人間だった女性名の遺体が、いまだ埋まっている、ということだった。