第10章 光る町/デッドマン吉良
「ボウイ…」
わたしはさきほどのことばを蒸し返す。なぜか、彼の顔ではなく、音楽をおもい浮かべたのだが。
「わたしはクイーンのほうがすきだ」
「アハハッ」女性名の指がエボニーのうえを滑ったとおもうと、弦を鳴す。「フレディには似てないよ」
She keeps Moet et Chandon
In her pretty cabinet
'Let them eat cake,' she says
Just like Marie Antoinette
女性名はリュートのボディの表面や側面を、パーカッションのように叩きながら、その若い声で歌いはじめた。
進行するにつれ声は高く、通るようになると、公園のなかでこちらへ足を向かわせる老翁や、中年の淑女たちが現れた。はじめにおもったとおり、彼らはリュート奏者のすこし離れた周りで、路上ライブのように立ち見しはじめ、ひとがひとをよぶ。手拍子が始まる。
夕日は鋭く金色に光線を注ぐ。
若いリュート奏者の歌声は、リュートのタッピングとおなじようにメリハリがあって、リュート以上に美しかった。
しかし、彼女がだれのために歌っているのかしる者は、この観客のなかでただひとり、わたしだけなのだ。
わたしはさきほどのインストゥルメンタルより、さらによくしっている曲に、歌を重ねた。どんなコーラスかは示されなくとも、からだがしっていたから。
drive you wild, wild..
彼女もまた、すでにしっているとおりに、必然性をもってわたしに応える。この曲が完成するのを、ほかの観客が聴くことはないのだとしても。
舞台の演技が、すでにどこかにある着地点を見つけるまでつづくように、芸術家がすでに材料のなかにできあがっていた像を慎重に掘り出すように―――必然的なかたちを求め、最後には、拍手を受ける。
☆
吉良は芸術をしっていて、芸術にふれるときだけ押し寄せるこの世やあの世への疑問を忘れられる…というお話でした