• テキストサイズ

青色幻燈

第2章 寒地にて


邪魔すまいと倣って空を見上げていると、不意に人の気配がした。見れば脱衣所の暗がりの中に先刻の娘が、盆を片手に途方に暮れた顔をして突っ立っていた。

「ごめんなっす」

私と目が合うとほっとしたような遠慮がちな声で言い、手に持った盆をちょっと上げて見せた。

「酒コだス。ノボせねように気付けて上がってたんせ」

はにかみながらそろそろと湯辺に盆を置きいてぺこりと一礼し、またはにかみながら背を向ける。初々しくて可愛らしい給仕だと見送るうちにじんわり笑みが浮かんだ。

盆には燗をつけた徳利と猪口が一つずつそれに小鉢に盛ったあの白菜漬けがのっていた。流石常連と言うだけあって、男が酒を呑まないのは心得ているらしい。きっと風呂を上がれば玉水とかいうサイダーが支度されているのだろう。

「お待ちかねが来ましたな」

それまでぼんやりと空を見上げていた男が、にこにこと湯辺の盆を引き寄せた。

「さあ一杯どうぞ」

と、猪口を差し出して徳利を傾ける。

「これはどうも」

私は素直に猪口を貰って酌を受けた。何という焼き物か、青白くとろりとした釉薬がかった猪口はつるんとした感触で唇に心地好く、きゅっと口に含んだ地酒は辛口で、体が震える程に旨い。

息をついて仰げば空に満点の星、川の水音が絶え間なく涼やかに響き、時折吹く幽かな風がそこらじゅうでサラサラ凍っている雪の氷片をくるくると湯辺に運んでくる。

何もかもがあまり心地良いので、私は黙って酒を呑んだ。口をきくのが惜しい程気分が良い。男も黙って目を細めている。

それにしても、何と大きな星だろう。

こんなに心地いい雪や湯や川の匂いは、一体あの星まで届いているのだろうか。そんなことをぼんやり考えながらまた酒を煽ると、不意に男が柔らかに高い声で歌い出した。
/ 32ページ  
スマホ、携帯も対応しています
当サイトの夢小説は、お手元のスマートフォンや携帯電話でも読むことが可能です。
アドレスはそのまま

http://dream-novel.jp

スマホ、携帯も対応しています!QRコード

©dream-novel.jp