第35章 水とワイン/Água e Vinho【おそ松/マフィア松】
俺は改めて女性を見た。町娘の一人なのだろう。給仕の格好はしているが、どこかみすぼらしい。ただ、顔立ちの整った美しい娘だ。品もある。
俺は彼女の手を握って、スーツを拭くのをやめさせた。
「マジでいいから。それに失礼だけどさ、お嬢さんにはちょっと弁償は無理なんじゃないかなぁ」
「っ! そ、そんなに高級な服なんですか!?」
女性が顔色を変える。
「ん〜、そうだな〜。安い車を買えるぐらい?」
「く、車!?」
かわいそうに。よほどショックだったのか、彼女はフラッとうしろに卒倒した。
「お、おいっ!? あぶねっ!」
慌てて女性を抱きとめる。そのとき、入り口からタイミングよく弟のトドマツが入ってくるのが見えた。
俺を見つけると眉間に皺を寄せ、走り寄ってくる。
「ちょっとオソマツ兄さん! 何やってんの! いつまで外で待たせる気? ボクに付き添いをさせるならちゃんと時間は守ってよね!」
「あ〜、もうそんな時間? ごめんごめん! お兄ちゃん、気づかなかったわ〜」
トドマツはろくにこっちも見ずに俺の腕を引っ張った。
「もうっ! いいから早く帰るよ! あまりこんなところに長居して警察とかち合いでもしたらどうするの!?」
「いや、それがさぁ……」
「は? 何?」
振り向いたトドマツがハッと目を見開いた。俺が女を抱えているのにようやく気づいたらしい。
「な? そゆこと。帰れなくてさ」
トドマツは呆れたようにため息をついた。
「何もこんなところに来てまで女性を持ち帰らなくてもいいでしょ?」
「違うって! ちょっと気絶させちゃってさぁ」
「じゃあ、そこに寝かせて帰れば?」
「ええっ! ひどっ! トッティ、冷たすぎない!? いくらマフィアでも心なさすぎ! お兄ちゃん、さすがに引くわ〜」
トドマツが不機嫌そうに顔をしかめた。
「あっそう。じゃあ、連れて帰る?」
「ええ〜、それはちょっと……」
「はあ!? もうっ! めんどくさいなっ! とりあえず連れていって、起きたら帰ってもらえばいいでしょ!? とにかくここはさっさと離れたほうがいいの! 早く行くよ!」
濡れたスーツが冷たくて気持ち悪い。会場ではバイオリンの生演奏が始まった。幸い、急いで会場を出ていく俺たちを気に止める者はいなかった。