第34章 イジワル上司の松野さん【トド松】
続きがしたい……。
松野さんの提案に頷きそうになったが、ぎりぎりの理性が私を止める。
「だ、だめです。早く戻らないと変に思われます……」
「…………」
私たちは道の真ん中で見つめ合った。松野さんの瞳が何かを訴えるように切なげに光る。
わかっています。私も同じ気持ちだから。
でも、これ以上踏み込んだら、この先の仕事はどうなるんだろう? イヤな上司とダメな部下。お互い文句をいいつつも、表面上の付き合いで回していけるはずだ。それがもし親密な関係になってしまったら……。
今の関係を崩すのが怖い。仕事は仕事。それ以上の関係を会社の人になんて求めていない。
私はそれなりにやりがいのある仕事をして、それに見合ったお給料をもらいたいだけ。仕事がプライベートに食い込んでくるなんて、ましてや、入社早々ややこしい男女の関係にまで発展するなんて……そんな未来に自信はない。
「松野さん……帰りましょう……」
私は大きく息を吐くと、鞄を肩にかけ直した。
一時の欲望に流されちゃだめだ。上司と秘密の関係になったっていいことなんてない。さっきのはきっと気の迷いだ。閉じ込められていたから、不安になっただけ。
松野さんは額に手を当てると少し考えるように目を瞑った。が、思い直したのかすぐに目を開け頷いた。
「そうだね。社に戻ろうか」
自分から提案したのに、その言葉にズキンと胸が痛む。
内心、『それでも休憩しようよ』と食い下がってほしかったのかもしれない。
松野さんは踵を返すと、静かに歩き出した。私もあとを追う。
「奥田くん」
「はい」
「さっきのことは忘れて。ボクも忘れるよ」
「わかりました……」
歩きながら、松野さんの背中を眺める。思っていたよりも大きな背中。スーツの下の松野さんの裸をつい想像してしまう。
松野さんとベッドで抱き合って、その厚い背中に手を這わせて愛し合えたらどんなに素敵だろう。
私は首を振った。
だめだめ! 忘れるって決めたばっかり! もう変な妄想はしない!
昼の強い日差しが頭上から容赦なく照りつける。頭がクラクラするのは、暑いからだけじゃないはずだ。
私は必死に気持ちを落ち着けながら、松野さんに続いて地下鉄の階段をおりた。