第13章 リアル非充実(1)
いつものことだが間合いを詰めないように注意しながらしばらく一緒にいると、だんだんとの緊張も言葉遣いもほどけてくる。そのころだ。書庫のほうへやってくる話声がした。
おまえ医者になるのかよ。
なんであんたが知ってんのよ。
話せよそういうこと。
なにそれ。いちいち許可がいるわけ?
許可とかそういうことじゃねぇだろ。
そっちこそ『ちゃんの飯がどうのこうの』ってずっとこそこそしてるじゃない。
ダンっと音がして会話が止む。サーシャを壁に追いやった音だろう。サッチが低い声で囁いている。聞き取る気は毛頭ない。はフリーズしている。刹那、濃密な気配が廊下から立ちこみ始め書庫にまで流れ込んできた。おいおいよりによってこの廊下で盛るな。は耳まで真っ赤にして指先が白くなるほど本を握りしめている。
「サッチ! 部屋行けよい!」
「っち、マルコか。邪魔しやがって。立てるか? ほら」
二人が遠ざかったあとも書庫は微妙な空気だ。はそれを散らすかのように雑巾で棚を強く拭きながらが早口で言う。
「マルコさんは陸とかに彼女いるんですか?」
いま訊くか。
「いない」
「奥さんも?」
「いたほうがいいのかい?」
「いえ、ほっとしました」
「あ?」
「いやだって、私をベッドに寝かせてたなんて、彼女さんや奥さんがいたらどんな顔してご挨拶したらいいのかと。あーでももったいないですね。立候補する人は多いでしょうに」
言外に「私の知ったこっちゃないんですけど」というニュアンス。一瞬でも動揺しかけた自分が憎い。は棚を拭く手を止め、あらたまって問う。
「マルコさん」
「なんだ」
「男性は、いかがですか」
こういうときだけまじまじと俺と目を合わせるので俺もまじまじと見返してしまう。どんな顔してそういうことを訊くのかと思えばジョークの片鱗はなく純度の高いクエッション。さすが華部屋でもまれているだけのことはある。