第1章 傘
ばつばつばつ、と大粒の雨がビニールを叩く音。
ずっと立っているのも足が疲れそうなので、しゃがみ込んで鞄を開ける。
前に抱えていたせいか、それとも雨が降ってからそんなに時間が経っていないせいか、さほど鞄は濡れていなかった。外側に向けていた面は生地の色が7割方濡れて濃くなっていたものの、中身にまで害は及んでいない。
携帯と小説と濡れそうなものを身体側に寄せて、来た道を振り返る。
「まだあれくらいしか歩いてなかったんだ」
長い距離を歩いたように感じていたが、本当に感じただけだった。さっき通り過ぎた看板がまだ見える。
しゃがんだまま片手を伸ばして、雨粒を腕に感じる。
全然止みそうにない雨を眺めて、車の行き来を羨ましそうに眺め、誰か乗せてくれないだろうかとありもしない事を考えたり。
ハンカチで濡れた髪を拭いてぼんやり水溜まりの波紋を眺めていると。
「………」
目の前に足が映った。
黒の男ものの革靴にグレーのスーツのパンツ。
私と同じ雨宿りの人かな、と思い、ちょっと場所を脇にずれて荷物を反対側に動かしてみる。
それでも動く気配がなくて、少し不審感。
「…傘、なかったりする?」
不意に、低いささやくような声がした。
見上げて相手の顔をとらえるとやけに無気力な視線とぶつかる。
灰色の髪に、それに合わせたようなグレーのスーツ。折りたたみの傘をさしている。
ぽかんと見上げていると少し首を傾げられて、自分の答えを待っているのだと気付いた。
慌てて答える。
「っ、はい!忘れちゃって…」
誰だろうこの人。知ってる人じゃないよね。変なおじさん……にしては無気力すぎるような…
その訝しげな視線に気付いたのか、男はスーツの胸ポケットをあさり、すっと何かを取り出した。
「…一応、刑事だから。怖がらなくても大丈夫」
「あ…すみません」
親切に声をかけてくれたのに悪いことをした、と恥ずかしくなった。よく見えるようにとすぐ目の前に掲げられた警察手帳には、目の前に立つ顔と同じ写真があって、「笹塚衛士」と名前が。
何かその写真も無気力。