第10章 _________礼
「笹塚衛士」
「?」
「俺の名前。呼んでくれねーからわかんないのかと思って」
「あ」
本当は警察手帳見せられた時から分かってたけど。
何となく気が引けていて。
「…笹塚さん」
「ん」
ちょっとだけ口の端を上げた笑顔があまりにも年齢を感じさせない可愛さで。煙を一つ吐きながら煙草を灰皿に押し潰す動作が照れ隠しに見える。
ありがとうございました、と再度言ってから車のドアを開け、地面にそっと足を下ろした。
雨はもう殆ど止んでいる。よかった。
笹塚さんが車で去るのを見送ろうと脇に寄って見守っていたが、彼はなかなか動かなかった。
「未来ちゃんが家入るまで見送るから」
だから行っていいよと。
最後の最後まで優しい人だ、と力が抜けた。素直にうなずく。
スーツジャケットしっかりと前に抱えて、再度深く礼。
「今日は本当にありがとうございました」
「いや。…風邪、早く良くしなよ」
「はい!」
「じゃあ、また」
「…笹塚さんもお気をつけて」
一瞬だけ目が合って、私は踵を返して家へと歩く。少しだけ淋しいような感じがした。
今日はいろいろとあったような気がして、少しだけ笑みがこぼれる。
家の門を跨いでもまだ車のエンジン音が聞こえる。それに妙に安心感を感じながら家のドアを開けて、私は中に入った。
残った彼は、長袖の白いシャツに目をやった。まだシャツだけで過ごすには肌寒い気候だが、車の中だし別に問題はない。
新しい煙草を取り出して火をつけ、一度深く吸い込みながら煙を吐く。
また彼女と会えるのが何だか心地よくて、何故か楽しみに感じる。意外だな、と思わず唇の端が上がった。
ハンドブレーキを下ろし、ニュートラルだったギアをファーストに。
ゆっくりと車は走り出した。
2009/08/27