第94章 恋した記憶、愛した事実《15》
廊下の角を曲がって、家康の部屋の前に着くまでの間
「……家康…さん……家康、さん………」
小声で呼び方の練習をしていた。
家康が目覚めたときに、「呼び捨てされる覚えはない」と言われてから、まだ家康の名前を呼んだことはない。
昨日と今朝は、皆がいたから名前を呼ばずにすんだけど、毎回誰かがいるわけではないから、家康の手当てと身のまわりのことをしているときに、咄嗟に『家康』と呼び捨てにならないために、部屋に着くまでの短い距離で、少しでも言い方に慣れるために、ひたすら『家康さん』を繰り返して言う。
だけど『家康さん』と言う度に、家康との距離が遠くなっていく気がして、なかなかスムーズに言えない。
言うのに慣れないまま、家康の部屋に着き……
「……家康…さん……お食事、お持ちしました……」
詰まりながらも「さん付け」で家康の名前を襖越しで呼んだけど……
……………
「(……あれ?返事がない……)」
家康の応答はなく、静かなまま。
「(……居ないのかな…?)」
襖にぴとっと、耳をくっつけて、人の気配がしたり、物音が聞こえないか伺うけど、全くわからない。
「………家康、さん……居ませんか~……?」
もう一度、声をかけてみる。