第89章 恋した記憶、愛した事実《10》家康side
………記憶がない?…俺が……?
幼少期の人質生活も、織田軍の武将のことも、政務のことだって把握しているのに……?
確かに、あの女は見覚えがないが……
たかが女の一人、記憶にないだけで、どうしてこうも騒がれ………
「(……というか、何故、全員があの女のことを……?)」
城下でも人気のある、政宗さんと秀吉さんが、女を気にかけるのはまだわかる。
だけど信長様までも、あの女のことを気にかけているとなると、あの女は武将全員と親しい間柄だったのでは……
「(……ますます、あの女が何者なのか、わからない……)」
あの女のことを考えだすと、ズキズキと痛みだす頭。
痛みを鎮めるために、考えをやめる。
「……とりあえず、状況はわかった。時間をとらせたな。」
「いえ。これが仕事ですので。」
信長様の声に、医者は深々と頭を下げ、先に退室し、信長様と秀吉さんが残った。
「………さっきの会話……なんですか?」
「……追々、思い出せ。猿、行くぞ。」
「はい。」
信長様と秀吉さんが立ち上がり、襖に手をかけようとしたとき
「家康。貴様がまずすることは、わかっているだろうな?」
「………怪我を治すことでしょう。わかっていますよ……」
「わかっているならよい。」
そう言って、襖を開け、廊下に踏み出そうとした瞬間、信長様が振り返り、俺の顔を見ると
「家康。一つ教えておく。秀吉の妻の名は香菜。陽菜ではない。」
「は?妻?」
「家康、二度と間違えるなよ。」
ぴしゃん!
「…………」
二人が出ていったあとの、襖を呆然と見て、頭の中が混乱する。
秀吉さんに妻?
ということは祝言を挙げたのか?
いつ?
それに香菜という、新たな女の名前……
「何がどうなってるわけ……?」
考えても考えても、辿り着かない答え。
一つだけわかったのは、あの女は秀吉さんの女ではないということ。
だが、それだけだ。
「とりあえず……休むか……」
情報が少なすぎるし、わからないものを考えても仕方ない。
明日にでも、知ってそうな人物を捕まえて問いただせばいいこと。
そう考えながら、俺は眠りについた。