第1章 真鍮の寂び
人によっては家や建物に感謝の意を伝えるために掃除を最後にしたりもする。取り壊しが行われると分かっていても、年数を共にしてきたモノを手放すと通常は心が傷むはずだ。そんな精神を落ちつかせる儀式として掃除はよく行われたりもする。この画家に必要な儀式なのかは知らないし、おそらく染み付いた絵の具は洗い落とせないであろうが、銀時はとりあえず沈黙をかき消すために提案をした。だが返事は存外冷たく返ってくる。
「そんなのは放っておいていいんだよ、どうせ煩い世間を黙らせるために建てたようなもんさ」
どこか煩わしさ含んだ、投げやりな言い方だった。威厳はあるものの、穏やかそうだった女性の眉間に皺がよる。
「それなりに名が売れると、世間様ってーのは人がどう創作してんのか気になってしょうがないのさ。特に芸術の『げ』の字も興味がない一般雑誌の記者どもは質問がうるさい。『先生はどのような環境で作品のアイディアを生み出しているのでしょうか?』だの、『きっと先生のことでしょうから作業環境も特別なのでしょうね?』だの、ギャーギャーやかましい。誰にも邪魔されず筆とキャンバスさえありゃどこだって出来るってんだよ」
まるでスイッチが入ったように喋り始めたのをみると、それなりに鬱憤が溜まっているようだ。掃除をするかしないかの質問でこれほど溢れ出るとは思わなかったが、お登勢との会話も似たようなもので、銀時は慣れたように聞き流す。
「芸術家は頭のおかしい連中がするもんだと勘違いしてるバカな記者は特にあたしらをテンプレートに当てはめたがる。質問自体が誘導尋問で腹が立つんだよ。いちいちつまらない質問答えるくらいなら、アトリエの取材をさせて勝手に記事作らせた方が楽だよ。『海辺のアトリエ』なんて雑誌の題材にしやすいだろ? あのカウンターだって画家の功績が分かりやすく写真に撮れるよう、記者どものために設置したようなもんさ。手入れなんざしてないから潮風浴びて錆ちまってるけどねェ。もう自分の新作に関して質問されないと思うと清々するよ」