第1章 真鍮の寂び
銀時が勝手に想像していた偏屈ババアのイメージとは裏腹に、依頼人の女性は意外と親しみやすそうだった。お茶も入れようとしてくれたのをみると、人並みに気の使える人物ではあるらしい。失礼なことを思いつつも銀時は彼女の指示を待った。
「お登勢からは聞いてるだろうけど、今日やって欲しいのは絵と画材の分別だ。手をやっちまったのは知ってるだろ? 両手を使わないとキャンバスが思うように動かせないから困ってたんだ。一応、全部の絵に付箋紙で分別してあるから、トラックの中で好きなように詰め込んでおくれ。そのあとは、それぞれをゴミ捨て場なり寄付先なり質屋なり届けてほしい。画材はまだ仕分けの途中だから、絵を運び終わったらそっちの手伝いも頼むよ」
言われるまで気づきはしなかったが、彼女の言う通り絵には半透明の付箋紙が銀時の胸元あたりの高さで栞のように張られていた。それぞれには歪な字で「寄」「売」「捨」の漢字がバラバラに振り分けられている。使い慣れていない手での執筆はさぞかし面倒だったに違いない。それならカタカナか数字で書けば良いとも思うが、思いの外几帳面なのだろうか。そう脳裏で考えながら銀時は早々に付箋紙へ目を通す。
振り分けは本当にバラバラで、トラックに運ぶ前に分別しておいたほうが運びやすいと銀時は判断した。それに太陽が昇りきっていない冷たい外気に戻りたくないのもあり、銀時はアトリエの中で仕分け作業を始める。
何層にも絵の具が重なって見た目の重量感はすごいが、一度持ってみると想像よりは軽かった。キャンバス裏で露わになっている木の骨組みを掴み上げれば難なく持てる程度である。歩くとキャンバスの布が大きな帆のように空気の抵抗を受けてバランスを保ちにくくさせたが、コツが分かれば楽な仕事だった。
横目で依頼人を確認したが、銀時の行動を気にする様子はまったくない。あちらもあちらで大量にある筆を床に広げながら分別をしている。
しばらくは同じ空間で過ごすだろうと推測した銀時は自然と口を開いて話題を彼女に振った。
「なァバーさん、部屋の掃除はいいのか? アトリエを潰すとはいえ、こんなに汚ない部屋でもそれなりに綺麗にしといた方がいいんじゃねーの?」