第1章 真鍮の寂び
天人との交流によってもたらされた繁栄は生活水準を極端にあげた反面、著しく若者たちから「昔ながらの生きる知恵」を低下させている。特にサスペンスドラマや推理漫画などで迫力を演出させるために「油+火=爆発」と、油の種類によっては的外れな方程式を刷り込まれているケースが多い。そこを瞬時に利用してハッタリで身を守ったことを思うと、案外この年寄りは頭の回転が早いのかもしれない。そう銀時は関心した。
ただ、そんな彼女でも一つの致命的なミスを犯してしまったのだ。それは利き手で刃物を取り押さえてしまったことである。寿命という意味での命は奪われなかったとは言え、画家にとっては利き手も命。怪我はそれなりに重く、日常生活はなんとかできても絵描きとしての生命は失われてしまった。治療とリハビリで多少は良くなるらしいが、年も若くないことから本人は画家を引退すると公表したそうだ。
それを聞いて美術界では騒動になっているらしいが、やはり漫画以外の絵に興味を持たない銀時にはどうでもいい領域の話だった。
なにより当の本人は絵が描けないからと言って悲観的にはなっていない。むしろ歴史を教える教育者として一層力を入れると意気込んでいるのだとお登勢からは聞いている。その活動のシフトに伴い、所有しているアトリエが必要なくなったので絵の処分を手伝ってくれる人を紹介して欲しい、と言うのが今回お登勢の元に届いたお願いであり、銀時に渡された依頼内容でもある。わざわざ1tトラックを借りるよう指示してきたのも絵をしかるべき場所に届けて欲しいとのこと。
長年画家として生活していただけあって描き上げた絵の数は膨大で、その中には高値で売れる作品もあれば、廃材として二束三文にしかならない描きかけもある。それぞれの価値が違う分、受け渡し先もオークションなりゴミ捨て場なりと変わってくるのだろう。
作業内容だけ聞けばそう難しくはなさそうだが、相手が偏屈で気の強い芸術家だと思うと銀時はたまらずため息をついた。出来れば速やかに仕事を終えられることを願い、銀時は目的地のアトリエへ辿り着いた。
場所は江戸の大都市から離れた郊外。とても静かな海辺にシンプルな建物が佇んでいる。