第5章 闇夜の調べ
「ッ、……!」
緊張した身体が、急に耳元に感じる唇の感覚にビクンと跳ねる。声が出そうになるのを咄嗟に手で抑えこんだので、こんな場所で変な声を上げるのは何とか免れた。
「可愛らしいですねぇ、本当に……私は決してからかっているわけではありませんよ……本気で言っているのです。それこそアンリ、貴女が望むであれば…いつでも。」
口元を抑えていた手を取られると、ルシスさんはほんの少し笑いながら指先に口付けて見せた。
「さて、少し歩きましょうか。」
そうして、先程までの言葉などほんの悪ふざけだとでも言うように、あまりにもあっさりと私を膝の上から下ろしては、手を引いて立ち上がった。
誰もいない湖畔を、私はルシスさんと二人歩いた。サクサクと乾いた落ち葉を踏みしめていく。
前を歩くルシスさんの顔は分からない。
それに、私はこんなに綺麗な景色の広がる場所を歩いているというのに、視線は下ばかりを見ていた。
まだ、心臓が煩く音を立てていて、ルシスさんに繋がれたままの自分の手が熱くて仕方がない。
ひんやりとした風が、私の火照った頬をまるでからかうかのように撫でていく。少しの間、そうしてお互い何も話さず、繋がれた手の感触だけを感じながら歩いていた。
「……アンリ、以前…学園に行くという話をしたのは覚えておりますか?」
「…っあ、はい。入学より少し早くに行って、お世話になるって……」
突然声を掛けられたので、ほんの少し上擦った返事になったが、真面目な話だと察して私は俯いた姿勢を正した。
「えぇ、そうです。そちらの準備が整いましたので、貴女の方の用意が出来次第いつでも向かうことが出来ます。」
「も、もうですか!すみません、私何も準備出来てなくて……、!!」
早まったとは確かに聞いていたが、もうそんな時期になっていたとは。
確かに、あの後ルシスさんの屋敷に招かれてからも色々とあったから予定より長く滞在してしまっている。自分のことだというのに気が回らなかったことに思わず頭を下げた。