第5章 闇夜の調べ
そんな甘ったるい声で嘆くご婦人に、一人近付いていく一人の黒魔術師がいた。でもよく見るとその髪は栗色をしている。先ほどの衛兵と女性の間に入るように立ったその人は柔らかそうな栗色の髪を風に揺らして、愛想のいい笑顔を浮かべて見せた。
「もし…?あぁ、申し訳ございません……麗しいご婦人の脚を煩わせてしまったのは私共の責であります。宜しければ、その手紙、私めが責任をもってヘンリー殿にお渡しいたしましょう。」
女性ならば誰しもが、思わず胸を高鳴らせてしまいそうな爽やかな甘い笑顔で彼はそう言った。
「あら……あなたは?」
「名乗る程のものでもございません。しがない黒き魔術師の一人に過ぎないのですから。ああでも、こうして貴女の美しい手でその名をしたためられるヘンリー殿が羨ましい。」
「まぁ、……シュバルツにも、こんなアポロンがいらっしゃっただなんて。お名前を窺っても?」
「あぁ、いけませんマダム、貴女に名を明かしてしまったならば、私は素直にその手紙をヘンリー殿に届けることが出来なくなってしまう。だって、いつかその美しい手で私の名が綴られる日が来るのかもしれないと期待してしまうのだから。」
どうしても聞こえてしまうその会話に、ぽっかりと口が開きっぱなしになるのに気が付いたのは女性が一人嬉しそうに掛けていき、その背中に先程の栗色の髪の彼が恭しく腰を折る姿を見届けてからだった。
私はというもの、大衆演劇のワンシーンでも撮っているのかというほどの台詞の数々に衝撃というには大げさかもしれないが、間違いなく何かをくらってしまい、暫くは立ち尽くしたままその場で瞬きを繰り返すだけだった。
そうしてあまりにも見続けてしまったせいか、その彼がこちらに気が付いた。やばい、と反射的に顔を逸らそうとしたが何とその彼がこちらへ真っすぐ向かってきたのだ。
どうしよう!と焦ってルシスさんを見たが、何故かこっちが驚くほどに呆れ返った表情で、その溜め込んだ息をいつ吐き出してやろうかというような表情を浮かべている。
「あれ、もしやと思ったら、アンリちゃんじゃないか!久しぶりだな、どうだ?何か調子が良くないって、ハイデスのやつが言ってたが……。」