第10章 傀儡…
「智子は…」
母様が、その能面のような顔を更に硬くして、階段の上を見上げた。
まさか…
僕は全身の血液が引き潮の如く引いて行くのを感じながら、目頭を手で覆い、天を仰いだ潤を見た。
「そん…な…、どうして…」
智子を父様の手には触れさせないと、あれ程強く誓ってくれたのに、なのにどういて…
「お父様に知れてしまったの、智子が妊娠していることが…」
母様が声を震わせる。
そしてそれまで一度だって見せたことのない涙を、隠すことなく僕が見ている前で流した。
「仕方なかったのよ…。私も隠そうと思ったわ…、せめて婚礼の日を迎えるまではと…。でも…」
母様はそう言ったきり、その場に泣き崩れた。
「奥様…」
床に倒れ込んだ母様の背中を、照が皺だらけの手で撫でた。
「翔君、ちょっとこっちへ…」
その光景を呆然と見ていた僕を、潤が応接間へと呼び寄せた。
「何です? 早くしないと智子が父様に…」
父様の手が智子の奇麗な肌に触れているかと思うと…
父様の厭らしい目が智子の肌を舐めているかと思うと…
僕は居ても立っても居られない気持ちで一杯だった。
「ああ、分かっている。俺だって…」
悲しげに歪められたその顔からは、心中穏やかではないことがありありと見て取れて…
「ごめんなさい…、先生の気持ちも考えずに…」
「いいや、構わないよ。それで相談なんだが…」
潤は辺りに視線を巡らせると、そこに誰もいないことを確認したのか、僕の耳に口を寄せた。