第8章 慕情…
「実は聞いてしまってね…。勿論偶然だったんだがね?」
潤は前置きをすると、少しだけ声を潜めた。
何せ安下宿だ…壁は薄い。
どこで誰が聞き耳を立てているか分からない。
「照さんと義母上が話しているのをね…」
「…なん…て…?」
「義母上は迷っておられたんだよ…俺と智子さんの結婚を…。表向きは賛成した振りをしてね…」
母様が…?
あれ程智子の婚礼を心待ちにして、準備に勤しんでいたのに…?
「義母上は案じておられたんだろうな…智子さんの行末を…」
「で、でも母様はいつだって智子に辛く当たってばかりで…」
智子の頬に一生消えない傷を残すような、酷い仕打ちをしたのに…?
僕は俄に信じられなくて、膝の上で握った拳を見つめたまま、何度も首を振った。
だって僕は、母様はずっと智子を憎んでいるとばかり思っていた。
父様が外の女に産ませた子だから、と…
その母様が、智子の行末を案じるなんてこと…信じられない。
「思うんだが…。義母上はもしかしたら、わざと智子さんに辛く当たっていたんではないかい?」
「そんな…。どうしてわざわざそんなことを…」
「分からないかい?」
全てを見透かしたように僕の顔を覗き込んだ潤の目には、薄らと涙のような物が浮かんでいるように見えた。