第37章 桜満開の心 ( 伊吹 梓 )
スマホも財布も持たず、ただひたすら街中を駆けて行く。
こぼれ落ちる涙を拭いもせず走る私を、すれ違う人が訝しげな顔で見ていた。
どれだけ走ったのか、分からない。
どれだけの時間が過ぎたのかさえ、分からない。
ただ、分かるのは。
ここが···桜太達の住む、街だと言うことだけ。
日が沈み出したその街を、俯きながらフラフラと歩く。
時折誰かとぶつかっては顔を上げ、そしてまた···俯く。
あんな風に家を飛び出しては、帰るに帰れない。
···自業自得ではあるけど。
泣くだけ泣いて、走るだけ走って···急に冷静になってしまう自分が悲しい。
だけど、誰の許可もなく勝手にあんな事をした父も許せず、途方に暮れる。
立ち止まっては歩き、また立ち止まっては歩きを繰り返し、今夜はどうしたらいいんだと考え始めた時···俯いた目の前に、誰かの足が止まった。
「おね~さん?こんな時間にひとり?オレとお茶でもしちゃう?」
なんとなく軽い感じの誘いに眉を寄せながら顔を上げる。
『悪いけど、私···』
「えっ、梓ちゃん?!···マジかよ」
目の前に立つ人は、まさか私のよく知っている人物で···
『慧太くん···どうしてここに?』
慧「そりゃオレのセリフだっての!って事は、桜太も一緒か?」
『桜太は···』
そこまで言って、溢れ出す涙を堪えながら横に首を振った。
慧「なんだぁ?ワケありか?ケンカでもしたのか?」
『違う、そんなんじゃなくて』
慧「じゃあなんだ?」
桜太と同じ顔。
桜太とそっくりな声。
だから、つい···ガマンしきれなくて···
『慧太くん···ちょっとだけ、ごめん』
慧「わっ?!···おいおい抱き着くなって、オレは桜太じゃねぇぞ?」
そんなの、分かってるよ···
けど、いまは。
誰かに寄り掛かりたくて···桜太じゃないって分かってても、そうしたかったから。
慧「こんなん桜太にバレたらオレは八つ裂きじゃ済まねぇな···」
しょうがねぇ···と呟いて、慧太くんが私の体に腕を回す。
その胸元からは、あの日と同じ···落ち着く香りがフワリと鼻を擽った。