rain of fondness【黒バス/ナッシュ】
第10章 rain of fondnessⅤ
「ん・・・やめ・・、は・・・ッだめ・・付け・・・」
暗くなり始めた空、混み合った時間帯に重なってしまった電車の中はそれでも、車内で立っていた人々のパーソナルスペースはまだ十分に保たれていた。
乗車時間は知れている・・・その少しのあいだ、名無しがナッシュと居たのは車内の扉付近だ。
会話がふと途切れた際には、時々起こった車両の軽い横揺れに耐えながら、名無しはなんとなく彼の横顔と、その瞳を目で追った。
『!』
『・・・・どうした』
『、・・・ううん』
視線を少し下に下げたときに見えたのは、深緑の曲線、その傍に残っていた赤らみだった。
それは紛れもなく自分が残した跡なのだけれど、名無しは自分が、いつの間にナッシュの首筋に唇を窄めていたのか、まるで記憶になかったゆえに少し動揺した。
どれだけ無我夢中であの施設の中、あのベンチの上で、彼を求めていたのだろう。
そう思うと、己の淫らさを改めて自覚するしかなかった。
いつぞや残すことすらできなかったそれの筈なのに、今ではすんなりと出来てしまっていたのもまた、彼女に追い増しして羞恥心を覚えさせる。
ナッシュもきっと、シャワーを浴びる前後に気付いたであろう・・・何も言って来ないことが逆に怖かったけれど、名無しはあくまで、その場では知らんふりをしてごまかした。
気だるげに扉にもたれながら、延々と暗闇の中を走る地下鉄。
ガラス部分から、何も見えない車外を時折眺めるナッシュの思惑は分からないままだった。
名無しはただ、明暗する内と外、その光の反射ゆえガラスに映ったナッシュの見目麗しい表情を、降車する次の駅に着くまでのあいだ、黙って見つめていた。