第5章 【番外編】いろは屋
「それに……」
イチが眼鏡を直す。眼鏡の奥の瞳が鋭さを増す。
「本当の恋を知らなければ、女としての悦びを知らなければ、ひいろ様の絵は完成しません。私は、絵師としてのひいろ様の本物の絵が見たいのです」
「イチ……」
「恋を知り、痛みや苦しみ、悦びを経験しなければ、ひいろ様の心は成長しません。私達が大切にし過ぎた分、自由を与えなくては……」
「しかし、ひいろは家康様を好いているだろ?なのに何故光秀様にお願いなど?」
「恋など、一筋で行くものではありません。それに、あの方とひいろ様は似ている所があるのです。すでに二人は惹かれはじめています。そして、近いうちにきっと、求め合うでしょう。」
そこまで言うと、イチはゆっくりと眼を閉じる。
「ひいろ様のことを、愛しているから分かるんです」
「………………」
吉右衛門が、苦しそうに唇を噛む。
「イチ……私はひいろが大事だ。お店も大事だ。でもね、お前もとても大事なんだよ。わかるかい?散々苦しんだお前がまた苦しむのは、私は辛いんだ。お前の心は大丈夫なのかい?お前だって、幸せになっていいんだよ」
優しい声で、諭すように吉右衛門が声をかける。それは本当に心から出る、思いのようだった。