第11章 揺れる
「家康様です」
下を向き、消え入りそうな小さな声でひいろが告げた名に、喉の奥がぐっと締まる感じがした。鼓動が大きく一度跳ね、ゆらゆらと胸の奥で青い炎が揺らめきはじめる。
「あの日、光秀様の御殿から帰る途中で雨に降られて、雨宿りのために入った軒下に、家康様が偶然に……」
下を向いたままのひいろは、俺の表情を見ることもなく、ただただ、淡々と話続ける。
だがそのうなじはうっすらと色づき、家康とのあの日の事を思い出しているのだと想像させる。
「二人で雨宿りしていたのですが……あの……家の中から男女の交わる声が聞こえてきて……家康様が私の耳を手で覆ってくれて……」
ひいろのうなじの色が、濃くなる。それに合わせるように、俺の胸の青い炎もゆらゆらと大きく揺れる。
「気がついたら……家康様が……口づけ……を」
ひいろが顔をあげ、俺を見る。
強いはずの瞳は熱を帯びて潤み、白い肌は上気したように色づき、男の格好をしてるのに、その顔は惚れた男を思う濡れた女の顔だった。
「……そうか」
「……はい」
「よかったな……惚れた男と口づけできて」
思っても見ない言葉が、口からこぼれでる。胸の中は青い炎がじりじりと焦がし続けるのに、それを誤魔化すように、ただ、ただ、口から出るのはそんな言葉だった。