第40章 『はじまり』のおわり
美術館を去る広津さんを見送って、太宰さんは「帰ろうか」と立ち上がる。
あたしはその袖を引っ張った。
「ん? どうしたんだい、詞織?」
あたしは太宰さんの瞳に、一瞬だけ目を伏せる。
でも、言わなきゃ。
気づいたから。
自分の気持ちの正体に。
何も知らないまま、太宰さんの隣にはいられない。
意を決して、あたしは太宰さんの瞳を見据える。
「あたし、分かったの。太宰さんの言っていた意味……」
「私の?」
太宰さんは言った。
太宰さんがあたしを『好き』だと思う気持ちと、あたしが太宰さんを『好き』だと思う気持ちは違うと。
あたしは愛情を知らずに育った。
だから、『好き』という気持ちに違いがあるなんて、知らなかった。
たとえば、あたしは作之助が好きで、ナオちゃんのことが好きで、太宰さんのことが好き。
そこにあるのは、『好き』という感情と、それに伴う優劣。
誰のことが一番好きで、誰のことがその次に好きで、誰を一番に優先するのか。
友情や敬愛の区別なんて、あたしには分からない。
けれど、今ならはっきり分かる。
……いや、分かった。
細かいことは、まだ分からないけど。
はっきり言えるのは、あたしが太宰さんへ向けている感情は、太宰さんが求めているものではないということ。
「あたしは、太宰さんのことが好き。世界中の誰よりも好きで、世界中の誰にも負けないくらい……龍くんに負けないくらい、太宰さんのことが好き。でも……太宰さんが言った通り、太宰さんと同じ好きじゃなかった」
太宰さんは、あたしに触れたいって言った。
身も心も自分のものにしたいって。
あたしが太宰さんに求めるものは、何もない。
ただ傍に置いてくれれば、あたしはそれだけで充分。
太宰さんが他の女の人と一緒にいることに不快感を覚えるのは、太宰さんがあたしを「いらない」って言うことが怖いから。
今なら、分かる。