第28章 少女の心が震える理由
「じゃあ、行ってくるよ」
人前で口づけをしたとは思えないほど普通の会話。
詞織さんもそれに何かを思うことはないようで、少し膨れつつも「行ってらっしゃい」と小さな声で応じる。
太宰さんは彼女の頭を優しく撫で、もう一度、今度は白い頬に唇を寄せた。
「行くよ、敦君」
「うぇ!? あ、は、はい!」
突然話を振られて変な声が出てしまう。
翻る砂色のコートを追って駆け出すと、その腕を掴まれた。
「え、詞織さん? どうしたんですか?」
「……太宰さんにケガさせたら、許さないから」
拗ねたような言い方が、可愛くて、さっきまでの混乱が引く。
「はい、分かりました」
笑顔で答えると、ゆっくりと解放され、僕は今度こそ太宰さんを追う。
国木田さんたちも動き出し、僕たちは地上へ続く階段を上った。
* * *
「いつからだ?」
旧晩香堂の階段を上りながら、国木田さんが尋ねる。
ちなみに、予備でも持っていたのか、眼鏡は復活していた。
それに対して、太宰さんは「何が?」と気のない返事をした。
「詞織だ! 公衆の面前で口づけるなど、何を考えているんだ!?」
「だって、可愛いのだから仕方がないではないか。激励だよ。戦場へ赴く兵士が妻や恋人と交わすのと同じさ」
いつから、の質問に答えていないことに気づいているのか、いないのか。
地上へ辿り着くと、国木田さんは太宰さんに指をさした。
「とにかく! 仕事とプライベートはしっかり分けろよ! 公私混同は厳禁だからな!!」
そう残して去って行く国木田さんと谷崎さんを見送って、僕はこれからどうするのかと頭を働かせた。
そこで、ふと思い出す。
――納得できない! どうしてあたしが居残りなの!?
――マフィアや組合から拠点を守り、太宰さん不在時は社長と乱歩さんの命令に従います。
詞織さんのあの変化の仕方は異常だ。
彼女のことが心配になって、僕は太宰さんを呼んだ。
「あの、太宰さん。詞織さんは、大丈夫なんですか?」
「詞織が?」
意味が分からないという彼に、僕は続ける。