第1章 *
予期していなかった場所から声があがり、ピタリと動作を止める。ちょうど一期一振の右隣から上がった声は、この場ではただ一人の女のものだった。流れる様な動作で腰を上げ、少しばかり離れた次郎太刀の背後へと静かに歩み寄る。切れてしまった髪紐を次郎太刀から受け取った彼女は、自分の懐から朱色の髪紐を取り出した。周囲が固まったように彼女の動向を見守っている中で、またも懐から櫛を取り出す。そして、次郎太刀へと触れる旨を伝えてからまるで硝子細工に触れるかのように優しげに一束髪を掬い上げた。
「今日は少し蒸しますから、上の方で括っておきます。何かご希望はありますか?」
「え?あ、いや、邪魔にならなければ、それで…」
「承知しました。せっかく綺麗な御髪ですから、高い位置で結わえてあとは涼しげに流しておきましょう」
「あ、ああ…」
言葉を交わしながら、彼女の手元には一切の乱れがない。動揺する次郎太刀を知ってか知らずか、言葉の通り高い位置で纏めた黒髪を朱色の髪紐で括っていく。慣れた手つきで危なげなく結わえるその様に、伏し目がちになりながらも真剣なその表情に、動向を見守ることしか出来なかった周囲の人間が魅せられていく。ただ一人次郎太刀だけは、何が起きてるのかも分からず身を任せるだけだったが。
「―――できました」
静かにそう呟いて、彼女は自分の持ち物からそっと手鏡を次郎太刀へ手渡す。恐る恐る覗きこんだ次郎太刀は、今までにない程しっかり結わえて括られている自らの髪を見て目を見開いた。一切の乱れなく纏まった髪に、朱色の紐がとてもよく似合っている。夏だからと最近は涼しげな色ばかりを好んでいた次郎太刀だが、まさか朱色がこんなにもしっくりくるとは思わずにぱっと後ろを振り返る。