第6章 ★世界で一番好きな人/笹谷武仁
兄貴のプロポーズ。
それはあの、兄貴が避妊具を使うのを拒んだあの日にあったことだった。
行為の後に我に返って妊娠を心配するさんに向けて兄が語ったもの。
兄貴のプロポーズを知っているということは―ひいては、行為を見ていたことに他ならない。
青ざめていくさんに、俺の頭はフル回転を始めた。
違う。こんな結末を、俺は望んじゃいない。
口にした言葉は消し去ることは出来ない。
さんと兄貴との間にあったことも、消し去ることは出来ない。
必死で己の間違いを上書きする術を、俺の脳みそは絞り出していた。
「…兄貴から、聞かされた。自慢げに言ってたよ。が喜んでたって…」
「あいつ、そんな事言ってたの? …しかも武仁に言うなんて、サイテー…」
兄貴に罪をかぶせることに対して、これっぽっちも心苦しいとは思わなかった。
それくらいしても許されるだろう。
さんに甘言垂れるだけで、結局実行しなかっただらしのない男だ。
少しくらい罪を着せたっていいだろう。
…こうやって簡単に嘘をついてしまう俺も、兄貴と同類なのかもしれないが。
「…あの時は、子供だったの。叶いもしない、甘い言葉に夢見てただけ。今でも大人になったとは思ってないけど、あの時よりは、ちゃんと考えてる。…だからね、武仁」
じっと俺の目を見据えるさんの瞳には強い意志が見て取れた。
俺と違って偽り一つない、曇りのない綺麗な瞳だった。
「私も、ちゃんと武仁のこと真剣に考えてる。考えてるからこそ、簡単に結婚しようとか言いたくないの。結婚、するのは簡単かもしれない。だけど、続けていくのってすごく大変なことだと思うの。私は、ちゃんと大学卒業して、就職して、一度きちんと自分で生計を立ててから、結婚とか考えたいと思ってる。……武仁と結婚したくない、とかそういうんじゃなくてさ」
人の話は最後まできちんと聞きなさい、と母に何度叱られたことだろう。
一人で突っ走って周りが見えなくなって、自分勝手に傷ついていた俺と違って、さんはやっぱり俺より大人だった。
甘言を垂れていたのは、俺もじゃないか。
軽薄に『結婚』だなんて口にして。
先の事なんて考えていなかった事を思い知らされて、恥ずかしくなった。